追悼川田亜子アナ

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自死を選ばれた方の魂の救済

突然スピリチャル系のブログになってしまってすみません。こういうのがダメな人はパスしてください。

昔からよくいいますよね、「自殺した人は天国にいけない」って。だとすると川田さんの魂は救われないのでしょうか。国際仏教学大学院教授(専攻インド学)の松村淳子さんのブログに自殺者の魂についての記述がありました。松村さんは最も愛する人を自殺によって亡くされています。

松村さんはスピリチャリズムの創始者とされるアラン・カルデックの『天国と地獄』という著作について紹介しています。カルデックによれば、業火によって永遠に焼かれるような「地獄」というものは、ないとのことです。しかし、

どの場合も,たとえ動機が,息子を徴兵で戦争に行かなくてもすむようにするため自殺した父親のように(そうすれば,息子が寡婦の子ということになり徴兵を免れる),自己犠牲的なものであっても,自殺した霊たちは,とても苦しむことになります.

自殺者の魂は大変に苦しむというのです。しかし、自らの魂の尊厳を守るために死を選ぶ(日本の侍の切腹のように)という場合も、自殺した霊は苦しむことになるのでしょうか。私は川田さんは自らの尊厳を守るために死を選ばれたように思うのです。また、同じスピリチャリズムの一派であるシルバーバーチの霊訓によれば

「同じく自殺した人でも、動機によって一人一人裁かれ方が違います。一人一人に公正な因果律が働きます。何度も申し上げておりますように、全事情を決定づける要素は“動機”です。それがその人の魂の指標だからです。」

自殺の動機によって、魂の処遇は変わってくるようです。残酷な人間に追い込まれて自殺したような場合は実質「他殺」ですから、処遇も変わってくると思います。また、カルデックによれば、

自殺した人の魂も永遠に苦しむわけではありません.彼らが自分の過ちに気付き,神に赦しを乞い,祈ることによって,いつかその苦しみから解放されるようです.またこの世にいる人々が祈りによって,彼らの魂の救済を援助することもできるようです.

この世で著名人であられた川田亜子さんの死は多くの人によって弔われています。川田さんの魂の救済の援助を私たちは行なうことができます。

松村さんはこう締めくくられています。

愛する魂は生きています.その魂のために祈り,また私が自分の人生の使命(それが何なのか,はっきりとはわかりませんが)を全うするまで,生き続けて,死を迎えれば,また再会できるという希望を得たからです.

みなさんも川田さんの魂のために祈りをささげてください。


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テーマ:女子アナ - ジャンル:アイドル・芸能

追悼川田亜子さん | コメント:14 | トラックバック:0 |
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この記事のコメント

2008-06-02 Mon 16:28 | URL | 支援 #/5lgbLzc[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008-06-02 Mon 18:17 | | #[ 編集]
もし一部の情報のように川田さんがクリスチャンであるなら、同じクリスチャン同士は必ず天国で会えますから、川田さんと天国で会いたいなら、生きている内にクリスチャンになる事も一つのチョイスでしょう。

また、たとえ川田さんが堕胎をしていたとしても、神様にごめんなさい、と謝っていたなら、その事は誰が許さなくても神様の前に赦されています。

そして川田さんが自殺であれ、今生きているクリスチャン達の祈りによってセカンドチャンスが与えられ、天国に行く事が出来ます。

同じ祈るなら、漠然とではなくイエス・キリストの名前によって祈ります、と最後に付け加える事をお勧めします。川田さんも生前祈る時にはそのように祈っていたはずですから。

川田さんとの天国での再会―これが私が今この事件で気落ちしている方々に明示出来る一つの「希望」です。
2008-06-03 Tue 01:04 | URL | 千 #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008-06-03 Tue 02:12 | | #[ 編集]
「何度も拍手してしまいました」ってコメントしてくださった方ありがとう。深い共感と繋がりを感じ、やっていてよかったと思いました。谷口への怒りは依然としてありますが、そんなことよりも川田さんの魂が救済されることのほうがずっと重要です。
支援 #/5lgbLzcさん情報ありがとう。
千さん具体的方法を教えてくれてありがとう。
2008-06-03 Tue 02:12 投稿の方の書かれていることについてはあとで記事にしたいと思います。
2008-06-03 Tue 11:28 | URL | 川田さんさようなら #wLMIWoss[ 編集]
昨日拍手のコメント入れた者です。
コメントありがとうございます!気持ちが届いて嬉しかったです。
私も亜子さんの魂のご冥福を祈るのが、
まず一番であることは間違いないのですが、
でもやっぱり谷口は、最低でも、所属事務所役員として、
(個人的心情としては、元婚約者に近い立場で、
事務所に入れた人間として)
きちんと責任をとらないと、社会的に許されない、
という声はあげていかないといけないのでは、
とも思うのです。
「ヤツがパワーダウン。トカゲのしっぽ切り」って噂が本当なら、
私はそれでもいいから、とにかくきちんと社会的責任をおってほしい、と思っています。
2008-06-03 Tue 12:29 | URL | #uaIRrcRw[ 編集]
とうとう一周忌ですね。割と最近、川田亜子さんのことを知った者ですが。

でも、川田さん関係で、こっちのお話を読むとは思いませんでした。そこで、せっかくですので、死にかけた人の特殊な体験、いわゆる「臨死体験 Near Death Experience(NDE)」について、以前読んだり考えたりしたことを、お披露目しようか、と。少し長いですが。

確かに、自殺者の霊魂というのは微妙な問題なんですけど、でも、NDEという枠でフィールドワークしている研究者の多く(アメリカに多い)はと言えば、古臭~い永遠罰的な教義は、やはり信じなくなるようです。
次のリンク先は、アメリカにある IANDS って国際団体のもので、ここでは臨死体験について世界中から送られる、かなり膨大な事例を収集し、研究しています。地方や外国の組織も合わせると、結構な規模のようです。
学者の他、本が売れているスター級の体験者たちも関係しているようですが、基本的に、完全な脳内幻覚説の雰囲気はないようです(多分)。

http://www.iands.org/

   ×   ×   ×   ×   ×

まず概観します。次のはあくまで自分の印象ですが。臨死体験の分類は、大まかに、

(1)視覚的にいろいろあり、現実感はあるのだが、内容は幻覚のよう、でも意味はあるのかもってレベル(生身の脳が見るのか「霊魂」が見るのか、見せられるのか自動で見る機能があるのか、分りませんけど)。
(2)もっと奥まで進んで、「超越的存在」と接触するレベル。伝えられる内容は自身へのアドバイスが多い。まれに人智を超えて超越的であったりする(全知感や、宇宙についてなど)が、必ずしも蘇生時に内容を持ち帰れない。

とあるように思います。さらに客観的に、1,2それぞれに、

(A)ポジティブ体験: 美しい場所や光景、安らぎ、解放感、(以下どれも強烈な)幸福感、陶酔感、無条件に受容され深く愛されている感じ、など。Pleasurable NDE とも。‥‥多数派
(B)ネガティブ体験: 地獄的光景(恐ろしい生物や存在、それらとの戦い、灰色などの不吉で荒涼とした場所、など)、騒音、永遠的空虚感や孤独感、渦などに巻き込まれるのに抵抗、など。Distressing NDE とも。‥‥少数派(研究者によって、1%から「7人に一人」と差。後者は Phylis Atwater)

とあります。とは言え、・・・実はA、B切り替わる体験も多いんですが。
体験者でも研究者でも、ネガティブを見るからそういう来世が待っている、と単純に取るわけでは、必ずしもないらしい(無論恐れる体験者もいるが)。研究者の中には「内部浄化、自己の影との対決」と考え、成長の過程と見る人もいます(先の Atwater 訳書あり。有名な人だし深いのだが、ちょっと独特?)。
そもそもネガティブ体験者の傾向ですが、ポジティブ体験同様、性別、年齢、教育、地位、性的な姿勢、霊的信念、参加宗教、人生経験、そして善人悪人、どの人にもほぼ同等に起きてると見えるそうです。下を。

http://www.iands.org/nde_index/ndes/distressing.html

・・・他、臨死体験の個別の要素としては、有名な体外離脱(OBE。幽体離脱とも)をして証拠に何かを見たとか(これは面白いですよ!)、トンネルを移動したとか、死んだ親族知人に会った、など、いろいろです。あらましは立花隆さんの「臨死体験」が分りやすいです。
面白いのは後遺作用で、人格や価値観の変容、突然科学や哲学探究に目覚め知力も増加、更にはサイキックやヒーラー能力の獲得、予知など。上のリンク先を見ると、ネガティブ体験でもその後の人生では意味を持っていると言う研究者達は、Atwarter 以外にもいて、ある意味それもですが。

   ×   ×   ×   ×   ×

さて自殺ですが、当然ながら生還して話す人はみな未遂者になります。これもA,Bともにありますが、その確率と分布は、よく分りません。例えば上のリンク先だと、Rommer って人の研究では、55%が永遠的空虚感、18%が地獄的経験、そしてほとんどの例で、人生回顧時に高次の力でネガティブに裁かれる感じがした、とあります。普通人生回顧では、自分で自分を裁きそれが後悔と反省になったとか、超越的存在(意志ある光など)を感じる場合には、それでもどんな人生でも無条件に自分を愛してくれたとか、逆なんですが。
ただ反論も書かれていて、悲しんだ心もちでは悲しい臨死体験をしがちで、自殺未遂者のBもそれでいくらかは増えるだろう、でもBの大多数は自殺の脈絡では起きてないし、多くのポジティブな臨死体験が自死の未遂で起きているし、悲しい心持や裁きと罰を予期する人でもAを体験してる、とも。
NDE全体の傾向らしいですが、統計ごとに違ったりするので、確たる数字って、ホント分りづらい。

まして完遂者については、直接聞けもしないのでなんなんですが。
でも・・・例えば Sandra Rogers って人。彼女は悪い人間関係、妊娠、流産、結婚破たん、自殺未遂(全て複数形)に苦しみ、6回も薬物の過剰使用で入院。自身を憎んでいたとも。そしてついに薬物過剰の上、38口径で胸を撃ちます。でもその結果素晴らしく温かい、しかも愛してくれる光の中に入る。そして人生回顧をさせられるが、その間中決して裁かれず、代わりに理解され、愛してもらえた。さらに周囲の人間の感情をも追体験させられ、また全知感をも与えられた(全てよく聞く要素)。
そして、戻るか否かの選択を迫られる(これも多い)。ただし(ここが重要)、もし光に留まるのを選ぶなら、後で物質世界にもどり、自分を撃った時点までのことを全て体験する(多分輪廻のこと)。でなければ今戻って、この先の人生に取り組むか・・・。
下のがサイトです。未訳だけど本があるようです。

http://www.near-death.com/experiences/suicide03.html

もちろん体験者によりケースはいろいろで、自殺未遂者でも、2Aだけどアドバイスの上留まる選択は許されなかった、なども、このテーマの本を読めば出てきます。
完遂者が必ず Rogers のような「転生課題」を背負うのかも、もちろん不明です。

(URL多いので分けます)
2009-05-25 Mon 23:10 | URL | Kousai Akira #mQop/nM.[ 編集]
さて印象では、肯定論の研究者たちの考えは(全員かは分りませんが)、傾向として、だいたい次のようなものに思われます。

1:死後苦しむ状態はあっても、永遠罰などではない(これは全員じゃないのかなあ)。
2:場所というよりむしろ、状態 state of mind, state of being である(たとえ本人らには場所に見えても)。
3:超越的存在は、罰を意図してはいない(どこかで教育的過程という表現を見たと思ったが・・・・だいたいこれらの体験者・研究者は、原理主義者の目のカタキ)。

人間、もともと上のように考えたいものだとは思いますが、でも研究者達は、膨大なケースを読み調べてますし。そして体験者の内的確信や、持ち帰る印象ってものもあります。
ですが、1:については更に、どうも研究の過程で輪廻転生を受け入れる傾向とも、関係があるように思われます。
・・・例えば、この現象を社会認知させた先駆けの一人、有名な Dr.George Ritchie 自身の若い頃の体験は、ベースはキリスト教的で、浮かばれず迷い悲しむ自殺者についてのビジョンもあるけれど(こういうのあまり聞かないんだが‥‥下リンクを)、彼は最近、輪廻転生研究で有名な Ian Stevenson と共著を出してるみたい。

http://www.near-death.com/ritch.html
http://bibleprobe.com/drrichie.htm
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/1571740961/ref=nosim/neardeathexpe-20


(ちなみに Ritchie の考えでは、自殺者の中でも、mental illness, confusion, terminal illness による人には、行為に重大さはなく、自殺以外の人と差はないと見てるらしい。
http://www.near-death.com/experiences/suicide01.html

・・・あと自身自殺未遂から生還した Angie Fenimore も、体験としては完全に2B(かなり珍しい)で、自殺者達がたまっている暗くさびしい「煉獄」を「見て」いるけれど、それを体験中すでに"spiritual time-out"(小休止、中断)と表現し、また我々の魂は宇宙の始まりを越えて存在してきた、とも考えてます(この考えは他の有名体験者にもある)。

http://www.near-death.com/experiences/suicide04.html

あちらの臨死体験の多くは、キリストが特別な存在であるのに、同時に体験者は三位一体説からは離れ、更に輪廻転生を受け入れる傾向があり、興味深いです。だいたい既成宗教の枠自体を否定する傾向がありますし。

(もっとも自分などは、体験者の言うことだって、一字一句レベルで受け入れていいのか、とも思いますが。記憶の問題や、無意識に全体の整合性をとったり、補完したりする可能性、更に地上の脳では把握できない概念を無意識に言語レベルに単純化してしまってたり、とか・・・・。やはり「最大公約数」で、おぼろに見えてくるものだけでいいのでは

これらの事例については、上記のサイトや、Amazon USA版で著者名検索して読者書評を見て下さい(英語だけど)。

(URL多いので分けます)
2009-05-25 Mon 23:19 | URL | Kousai Akira #mQop/nM.[ 編集]
上記のように、本当に自殺者が死後分れるとしたら、何によるのか。これは自分の倫理的判断からの想像ですが、苦しむこと自体に責任はないし、苦しみに負けた弱さ(誰でもある)にしたって、死後の「教育」で鍛え正す事でもないわけです。すると何かもっと根の深い(いやーな)確信的な、冷たいニヒリズムのようなものが、決定因なのではないか、と・・・。
ちなみに Ritchie や Fenimore の見た死者達の例では、少年少女の自殺者が比較的目立ちます、なぜか。
(それと Fenimore 本人の自殺未遂について言えば、結局生還してる人であることに注意。最初からそっち行く人じゃなかったんじゃないか。また彼女によれば、その人のそこからの解放は、彼/彼女が神を求めるときだと。・・・彼女のは昔翻訳が出てました、未読だけど。多分その一部が上の英語サイト)

アラン・カルデックとか、交霊術については・・・う~ん、ごめんなさい、知識がないもんで・・・。「徴兵適齢の息子を持った父親」「息子の後追い自殺をした母親」「(浮気タブーの)義務にそむかないために情死した二人」ですか?自分のカテゴライズには入りそうもないかなあ・・・。
確かに、Rogers みたいにはっきり言ってもらったのは別として、多くの自殺未遂者がAの体験をしたからって、その先の行き先も明るいか、って問題は、(厳密に考えれば)なくはないんですけどね。う~ん、でもなあ・・・。
(どちらにしろ転生してまた繰り返すんじゃ、先に済ませた方がいい。だから皆さんは死なないように!!)

   ×   ×   ×   ×   ×

さて、川田さんが最後に持っていた「永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書」は、有名なエリザベス・キューブラー・ロス博士の最期の著書だそうですね。ロスさんも生前は有名な臨死体験の研究者で、御自身でも体験されていたそうで。立花隆さんの「臨死体験」でのインタビューにそのくだりがあります。

・・・・あの川田亜子さんが、最後に「心の底に置いて」おいたもの、ですか。そのうち読んでみようかなあ、と思います。

   ×   ×   ×   ×   ×

ただ・・・(急に変わりますが!)。この本、テイラー氏が送ったものですか??
この方は、詐欺師ではない気がする。おそらく善意も全て本気では。ただ、夢見る人間がいい加減ていう代表のような。「荒唐無稽なことばかり言うテイラー氏にスポンサーが激怒したことがあり、その窓口になっていた彼女にもクレームが来たらしい。・・・」とか。

・・・この人の無邪気さって、どうなんだろう。例えば亡くなった当日の昼、ドレスをプレゼントすると、「人生で一番幸せ」と言ってくれたとか、でしょ?死にたい人、うつの人には、励ます叱るは厳禁で、無理に気分転換に誘わない、シロウトは黙って聞いてあげるのが一番だとか言いますが。基本的に「ポジティブ禁止」と解釈してるんですけど(長期的にまったく励まさないのも問題らしいですね。下を)。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/1387
http://e-doc.no-ip.com/archives/379

無論その場の雰囲気も、ドレスがどういう「文脈」で出たかも分らないけど、川田さんはまさにうつの危険タイプで、そういう人は無理して笑って合わせてくれちゃうんじゃないか。

でもなあ。善意の人ほど、ついついやっちゃうんだよなあ・・・。
それにいずれにしろ、もう死ぬ覚悟を決めてらっしゃった気もするし・・・。

────だけど、そもそも医者のせいもあるかも!?下はご覧になってます?

http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/42468681.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/40010115.html
2009-05-25 Mon 23:22 | URL | Kousai Akira #mQop/nM.[ 編集]
長文のコメントありがとうございます。
大変参考になりました。自分なりに調べてまとめる際の参考にさせていただきます。
とりあえず永久罰はなさそうだ、ということはたいへん励みになる情報であります。

ちなみにキュブラーロスの本をテイラー氏が川田さんに送ったというのは誤った情報です。
2009-05-26 Tue 17:50 | URL | 川田さんさようなら(管理人) #-[ 編集]
・・・どうも。ちょっと間が空きましたが、上でコメントした、Kousai Akiraです。度々恐縮です。
前回書いてるときから、思ってたことがありまして。先のコメントから、臨死体験に関心を持たれる方もおられるかと思うんですが、いきなり最初の一冊でつまづかれることもあるのでは、と(後述)。ですので、あらかじめ答えになりそうなことを、知っておいた方がいいかと思いまして。
つまり、今回再び参上した理由は、「予防的フォロー」です。
で、すみません、また長文です・・・。

●参考図書

で、まずは参考図書です。希望に満ちた個人体験記ってのがよく出てますが、最初は全体をフカンして理論的に見る本ってことで、知る範囲で次の2冊を挙げておきますね。

  ■「臨死体験(上下)」(文芸春秋社)立花隆
入口としてはベストかと。もともと知識も広くて鋭い立花隆さんが、門外漢の素朴な視点から突っ込み、また全体を見てくれてます。有名な研究者や著者たちの生インタビューも豊富。
(個人的には、「予知」‥‥というか、初期有名研究者の Raymond Moody レイモンド・ムーディがこの研究初期に、「何者か」の誘導と計らいを受けてたかのような話に注目しましたが。ムーディの奥さんが出る話でして。ムーディや立花さんは予知に入れてるけど、自分は原因と結果がループしてるから違うのでは、実は「誘導」では?なんて‥‥ま、読んで下さい)

  ■「光の彼方へ」(角川春樹事務所)Phyllis Atwater フィリス・アトウォーター、角川春樹・訳
情報量が多く、体系化も。独特な説得力は、これまでのこの分野での見落としを突いてるからか?ただ未知の領域での体系化は本人の色が出やすく、最後の方の自説も、臨死体験研究の結果なのかそれ以外なのか・・・。あと「えええ!?」てな報告も、なくはないです(笑)。
(ざっと見返したら、ネガティブ体験について面白い記述が。身を任せずに抵抗するとし易く、なすがままにすると解放されるって考え方が・・・そう言えば他の人の本にも、どこかにあったな。ただアトウォーターはもっと積極的な意義を見てますが。P-46~)

・・・ところで「フォロー」の理由なんですけど、立花さんの本を、否定論、脳内現象説と取る人も、結構いるみたいなんですね。それで説得力があるもんだから、「ああ、この現象はみな幻覚なんだ・・・」と早々と決着してしまったり。
もっとも立花さんは、一方で体外離脱 OBE の事実確認とかを「目の当たりに」したことも重視してて、けっこう中立だと思うんですけどね。
以下、一応知る範囲でコメントしておこうかと思います。

●文化差

立花隆さんは本で、臨死体験の文化圏による差に注目しています。出るのがキリストか仏様かの差は当然として、確かに、深い浅いの差でさえも感じられるんですよね。
欧米なら、意志を持つ「光の存在」がアドバイスや深い洞察をくれる例が結構あるけど、日本では、少なくとも立花さんの本では出てこない。光の体験率そのものが低いらしく、あっても人格みたいなものは感じない。「全知感」みたいなのも聞かないし。
同じ立花隆さんの「証言・臨死体験」ていう本は、日本人ばかり、特に有名人の体験証言集ですが(大仁田厚まである)、そこでも出てない(心霊現象はあるけど)。
対して、視覚的には色々あって幻覚のようなものは、日本にも多いけど、もともと浅い感じがするし・・・。
────で、立花さんは、光の存在って言うのはキリスト教の「神は光なり」って認識が生んだのでは、と考えるわけです。つまり脳内現象説ですよね。

ところで、Susan Blackmore スーザン・ブラックモアっていう、有名な脳内現象派の方の「生と死の境界」(由布翔子・訳、読売新聞社)って本があるんですが、そこでも文化差が注目されてます。
例えば以前インドでなされたある調査では、最初にムーディが報告した有名なパターン・・・トンネル、明るい光、体外離脱、悟りや人格変容など・・・はなくて(人生回顧も)、代わりにヒンドゥーの民間伝承にある「死神に嫌々連れて行かれるが、人違いと分って現世に返される」ストーリーが多かったとか。実はこの調査、立花さんも本で注目してまして。
ただ、ブラックモアさんの本ではその先があります。彼女、自分でもインドで調査をし、集まったのが19例。うち、死に接触は12人、うち4人は幻覚、そして8人は、欧米でよく見るパターンだったとか。
「光り輝く所に行き、そこでやさしくもてなされた……何時間かこの世を離れ光を楽しんだ気がした……時間や空間を超越していた」「『自分』が鳥の羽毛のように軽やかに感じられ、信じられないようなスピードで舞い上がっていった。それは『スピード』とか『時間』といった言葉では測れないような性質の速さだった……自分は色とりどりの光に取り巻かれ……光輝く場所にいた」
8名のうち、明るい光を見たのが4名、その後の人生やものの考え方に影響があった者3名。
やっぱあるじゃんて感じ?でもアドバイスや洞察は?まだ超越感が足りないかも?まあ少なくとも、調査で差が出るのは分る・・・。

さて、阿弥陀仏の語源はサンスクリット語のアミターバ(アミタバ、無量光)だそうです。光は「知恵」を意味するとも。立花隆さんの本にも出てくる、京都大学で仏教や臨死体験の研究をされてるカール・ベッカーという先生は、臨死や瞑想で経験する光が元なのだ、と言う主張です。つまりインドや中国でも昔からあったと。「死の体験・臨死現象の探究」(法蔵館)って本があります。
そして日本でも奈良、平安時代から、臨死体験の記録は何百もあるんだとか。ただ、どのくらいがその手の光体験かははっきり書いてくれてないんですが。「この光がお日様のような太陽のものだけではなくて、まるで慈悲・知恵と命そのものに満ち溢れた光に包まれるような感覚で、『あの世』、真宗で言うのなら『お浄土』なのです」と。下参照。

http://www.musashino-u.ac.jp/ao_mail_magazine/no141-160/no150.html
http://www.musashino-u.ac.jp/ao_mail_magazine/no141-160/no151.html

・・・でもやっぱり、なぜか今の日本では、少ない気はする。まして超越的なのは・・・。それとも本当はもっとある??
考えられるのは、「最初は神様以外何もなかったんだよ」の一言が耳に入り、考え、大人からの圧力にもなる、それがあるかどうかの違い・・・でしょうか、子供が信じるかはともかく。日本人はキリスト教圏よりも、なぜ絶対的な無ではなく、宇宙や万物が存在するのかについて、(興味が無かろうが)意識させられる機会が少ない・・・と言うのは、どちらの立場からも使える説明かも知れない、そう考えています。

●その先生のはただの脳内現象説じゃない

次に、ある研究者が現実説か脳内現象説かを判断するときの注意なんですが。これ、単純な二分法でもないらしいんです。ちょっと立花隆さんの本だけじゃ分らないぞと。

例えば立花さんの本の最後の方に言及がある Michael Persinger マイケル・パーシンガー(パーシンジャー)という、有名なカナダの先生。この方は後に日本テレビ系の「特命リサーチ200X」でも、何度も取材されてました。電極つきのヘルメットを被験者に被せ、「側頭葉」を刺激すると、幽霊を見たり・・・という、つまり「心霊現象=脳内現象説」の論拠としての取材なんですが。番組だけ見た人には、懐疑主義で暴露系の科学者としか見えないでしょうね。実際立花さんの本でも、宗教体験・神様体験と「側頭葉てんかん」との共通点を言ってる人、とされてます。
でも同時に、その体験は生きる意味と力を与えるのだし、大切にしなければ、とも言ってるんだそうで・・・。
基本は死後を信じてないらしい人が、ただの幻覚かのように言った先から、それを意味あるものだなんて・・・一見矛盾してるんですが。

実はこれ、IANDS の総長もやった Kenneth Ring ケネス・リング先生の「オメガ・プロジェクト」って本(片山陽子・訳、P233~)によると、こうです。例えばテレビがやってるのは、音や画を「作る」ことではなく、どこかにある信号を「受け取る」ことだ。パーシンガーの考えも、その辺では同じだと。ちなみにパ先生、ESPの研究もしているらしい。
ここまで来ると、「宇宙意志」やら死後やらの容認と、紙一重って気もしますけどねー、違うかな?むしろユングとかの共通無意識なんたらと近い??もっともユング派の心理学者の臨死体験の評価って、死後肯定説ばかりだった気がするけど。ユング自身が死後を肯定してたように・・・。

ちなみに、パーシンガーと似た考え持ってるんでリングにより比べられてる Paul Devereux ポール・デバルー(デブルー、デヴァルー、デヴルー)ってライター・研究者も、意識は何かで時空につながった全宇宙に広がる要素で、脳は加工処理器官だ、とか言ってるそうで。つまり脳より先に意識があるのだと。

────もう一人、やはり立花隆さんの本の最後の方で、ほぼまとめ的立場でインタビュー受けてる Melvin Morse メルヴィン・モース博士ですが、本では脳内現象説の立場で、それが本全体の結論みたいになってます。
でも、今はサイトで見ると、こんなこと言ってる。・・・我々は皆「量子宇宙」に生物的なつながりを持っていて、普通に生活していても、それに継続的にアクセスしている。そして死の時点で、右側頭葉が、「非局所的な現実」(nonlocal reality)に対する量子的つながりの開放を許すのだと。我々は意識を生みだす生物学的マシーンでもなく、生物的マシーンの中の魂でさえない。むしろ我々は、より大きな、永遠で隙間のない情報宇宙・・・物理学者が言うところの「非局所的な現実」に捕われ組み込まれた、脳(と身体)である・・・と。

http://www.spiritualscientific.com/
http://spiritualscientific.com/yahoo_site_admin/assets/docs/Abstract_of_new_paradigm27502422.180725.htm

実は、立花本直後のモース博士の著書(「死にゆく者たちからのメッセージ」池田真紀子・訳)を見ますと、この人、完全な死後肯定説なんです。立花隆さんの本では、なぜか違うんですよね。・・・ってか、あの直後変わったのか??

宇宙に広がるある領域・情報へのアクセス・・・って、似た発想の人が多いんですけれど、流行りというか、自然な方向なのかも?
実は自分も、次に述べる「ネット空間的、メモリバンク的なあの世」ってのを考えてまして・・・。

(分けます)
2009-06-18 Thu 02:47 | URL | 晃彩 晶 Kousai Akira #mQop/nM.[ 編集]
●脳のバックアップと、ネット空間の仮説

この辺から本題、でしょうか。

立花隆さんの本の最後の方の疑問、「霊魂が思考できるなら、脳は不要では」ってのは、「脳のない霊魂は、思考不可では」ってことです。実際多くの人には、脳損傷=思考停止をもって、議論は決着でしょうし。
・・・結局、これが究極の問いだろうか。
回答は色々あり得るんでしょうが、とりあえず、自分が考えてきた「仮説」はあるんです。
ただ、少々長いですが・・・。

   ×   ×   ×   ×   ×

正直言って、2008年5月に亡くなられ、議論を呼んでいるフリーアナ、川田亜子さん(ここは「臨死体験」で検索して来られた方向け)関係のこちらで、ここまでスペースお借りするのも、とは思いますが。・・・でも私めのブログへのリンクだけ載せても、リンクは見てくれないことが多いですし。
そうすると、なまじ上のコメントだけ見た方が、後で色々読んで、否定論で決着!と思ってしまうかも知れないし・・・。
(あと色々書けば、こちらのブログが検索にかかり易くもなるってのもありますし!)

多分、現実はもっと複雑では思うんですが、可能性だけ示せればいいんで。
以下、もう勢いで書いちゃいますんで、お許しください。

   ×   ×   ×   ×   ×

自分なら「脳のバックアップ」ってものを想定します。後天的な人格、性格は、(主に)脳の「配線」が担っていそうなので、新品でなくバックアップ。もちろん神経細胞とも神経伝達物質とも無縁です。ソフトは、媒体が変わってもパターンだけ同じならいいんで。
おそらく二説想定できて、
a)「あちら」で使う身体。肉体そっくり。よく心霊主義で言う「幽体」って概念に近い?(でもあれはちょっとなあ・・・)
b)脳の「配線」だけのバックアップ。ソフトウェア的なもので、やれ頭の形が扁平だとか大きさだとかは無関係。脳の全部じゃなくていいかも?

bについては、先の「ネット空間的、メモリバンク的なあの世」っての考えた結果でして。もちろん遠くにある空間でなく、今ここに平行してあるような。
例えばサイ能力で情報を呼び出す行為とは(あると仮定して)、その方向に目をこらすようなものでなく、「念じて呼び出す」わけですよね、距離が遠かろうが。それってネット空間的じゃないのかなあ、と。
アメリカ軍の超能力研究では、対象の経緯度座標だけで見れたとか言いますが、後述するコリン・ウィルソンの「エイリアンの夜明け」って本によると、見に行った先の空間で「タグをうつ」ってのをやると、後続がやり易かったんだとか。理論的ベースはユングの共通無意識論だったそうです。

(超能力、超心理学については、下が情報がまとまってて濃くてとても勉強になります。「まとも」ですし!明治大学教授の石川幹人って方のサイトです。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/index.htm

で、「死んであの世に行く」というのは、そういうネットやメモリ空間的なものに、脳のパターンが「情報」としてバックアップされるのでは・・・なんてイメージを考えてみたもので、それで、b。サイバーパンクSFの影響かも?
(もしや上記のデバルーさんやモース先生とかと近いのかな??)

よく、「見えた」理由は体外離脱か単なる超能力か、の二択論があるけど、自分などは、後者があるなら霊魂もありそうだと思うわけです。もし超能力があるのなら、空間そのものに、何か「意図的に」作られたシステムがあるような気がするし。
また超感覚あるなら、本来は相当視覚とは違うだろうと想像できる。聴覚だって、視覚とはかなり違って感じるように。なのに実際は色があったりと、視覚の形に「揃えて」ある感じですし。
「意図による領域」があるのなら、そこにバックアップとる「霊魂システム」はありそう、って発想なんですが・・・。

・・・まあそうとしても、「ネット空間」というのは、今時点の人間に分る比喩でしかなく、実際はもっと違うんでしょうけど。全然違ってaかも知れませんし!

●意識のコアと脳

ただこの仮説、バックアップだけだと、死んだらコピーかクローンができるだけなので、「意識のコア」になる部分も想定してみましょう。つまり「それだけだと意識としては働かないけど、脳のような『配線』と一緒なら『意識』になれる」って中核部分です。生身だろうが幽体だろうがバックアップだろうが、輪廻転生しようが、そこだけは変わらない、そんなコアって想定です。
「感情信号」は確かに脳が作ってるんだろうけど、「感情」として「実現」するのは、「意識」化される部分(すなわちコア)に受け止められたときだ、と想定してみます。

確かに、機械で脳の測定はできるけど、それは感情そのものは見てないわけで。だから、「感情信号」段階のみでは、脳は単に「そうプログラムされただけの、本当は感情がないロボット」かも知れない。たとえ感情持つかのように「自律的に」振る舞ってもです。

・・・そりゃ確かに、脳に自律性はあるらしい。分離脳実験や、ベンジャミン・リベットとかの脳実験の結果は、「人間の行動は脳という器官が、機械的に決めてるので、それ以前の自由意思が決めてるのではない」ってことらしいし。
そして確かに、それだけだと霊魂否定論に聞こえます。でも、脳学者が否定する霊魂説って、

  ■霊魂(能動的、自由意思) → 脳

だと思うんですが、自分のは方向が逆で、

  ■脳 → 霊魂(受動的、「意識」として、脳の作用を感じるコア)


になるんで、いろんな脳の研究とも矛盾しないんじゃないか、と(詳しくはないですが)。

   ×   ×   ×   ×   ×

ところで、輪廻転生との整合性ですが、人格が脳やそのバックアップなどの「配線」に規定されるとしたら、いくつもの人生でのそれらを、大事に保管するって想定はあり得るでしょう(多分、同窓会で昔話をするときにでもまた「着る」んでしょう!)。

・・・ただ、輪廻転生のテーマが、よく言う「魂の成長」であるのなら、コアかその周辺の「成長部分」に、地上のパーソナリティが反映し、更にそれがまた地上の行動(脳)に、逆に影響し返す、って想定は、必要なんでしょうね。そうなるとコアは、脳からただ一方通行の受け身でなく、脳の行動に影響をも与えることになりますが。
・・・確かにパスカル・レオーネって人の実験では、脳刺激で被験者の行動を選択させた(でも本人は自由に選択したと思ってる)そうだから、一見「やっぱり最初は脳!」に見えるけど、でも同じような刺激(意識じゃなく)を、「コア周辺」からも、時には脳に送ってないと言えるだろうか。

  ■霊魂(刺激) → 脳 → 霊魂(意識完成)

   ×   ×   ×   ×   ×

(余談ですが、このバックアップ説が正しいなら、それは生きてる間も既に働いてるんだろうか・・・つまり、感情や思考の起点は生きた脳でも、必ずいったんこのバックアップに渡してて、「意識のコア」にとってはバックアップとの関係のみで、死後はバックアップが肉体の脳なしで自立するとか。・・・それとも、死後初めてバックアップにスイッチするのか・・・。我々の心情からすれば、前者の方が、活動の継続性を感じて受け入れやすいけど)

(アルツハイマーとかで脳が委縮したら?修理される?あるいはそれ以前のバックアップの「バージョン」にスイッチして記憶だけ足す??・・・まあ、神様に任せればいいんですけどね!)

(意識がなぜ生まれるか、ロジャー・ペンローズだのブライアン・ジョセフソンだの名前だけは本屋で見たカモって一流科学者が、量子論云々で考えてるらしいんですが・・・スミマセン全然分らないですねー、ちなみに後者はノーベル賞受賞者だけど、宇宙より前から存在し続ける「最高精神」が、物質、空間、時間を創ったと言ってるとか・・・でも、根拠とかあって言ってくれてるのかなあ・・・)

●愛の対象はどちらか

さて、「あの人が喜ぶ(悲しむ)ので、自分は嬉しい(悲しい)」という「愛」は、まさに「あの人の『意識のコア』が、喜んで欲しい(悲しんで欲しくない)」ってことです。自分の愛の対象たる相手のコアこそが(コピーやクローンがでなく)、死後も継続していて欲しい対象です。たとえ死後の「配線」は、脳のバックアップ使ってても。

・・・ところで、コアAがコアBのバックアップを借りたなら、AはBの単なるそっくりさんになりますよね。人格や記憶はBと同じでも、Bとは別人です。また、Aがまるで性格正反対のバックアップに取り替えても、コアはAのままだから、たとえ性格がアル・カポネから聖者フランチェスコほどに変わろうと、「あのとき悲しんだ、喜んだのはこの人、A」になる・・・。
誰かを本当に愛するとは、コアをか?「配線」(のバックアップ)をか?やはりコアのような気がするなあ、愛を感情移入ととると、その対象はコアなんだし。だって喜びや悲しみを「意識」できたのはコアですから。脳段階ではただのロボットですし(自分の仮説では)。
でも、実際に我々が愛するのはパーソナリティなんだけど・・・。でも「天上の愛」って、本当はパーソナリティとは無縁のものなのか?フランチェスコなんてどんな悪人でも愛したろうし・・・。
もちろん両方同じなら問題なしです、たとえバックアップでも。

●霊魂だって幻覚を感じるかも!

さて立花隆さんは更に、脳内現象(幻覚)説の方が説明し易い材料を取り上げてます。例えば体験中の突然の場面転換や、あの世のあり様が個人や文化で違いすぎること、中には生きてる人間と遭遇したとか・・・。
実際、先ほどのモース博士やパーシンガー先生も、側頭葉に電気刺激を受ければ幻覚を見るのみならず、臨死体験的なイベントまでも、体験するのだと言いますし。

・・・ネット空間説でお分かりかと思いますが、自分は、具体的な場所としてのどこかに行くとは、考えてないんです。とすれば、場所など体験で「見える」対象は、幻覚ってことですよね。仮に超越的存在と接触しても、少なくとも光だとかの視覚情報などは、ヴァーチャル・リアリティだと思ってます。体外離脱で体が浮いた「感じ」がするったって、仮に魂に三半規管があっても、そこだけ重力の影響受けるなんてヘンでしょう!

それら脳のイベント機能が合目的的なら、幻覚を感じるのは、多くは生身の脳かも知れない。でもバックアップである以上、もし元の脳と同じ幻覚機能があれば、そういう幻覚を「霊魂が」感じることだって、あり得るんじゃないか。
実際、脳が完全に機能停止しても臨死体験した例もあるとか。下は「続 あの世からの帰還-新たなる真実・47名の臨死体験」(マイケル・セイボム著)からの引用記事ですが、確か他にもあったはず。

http://plaza.rakuten.co.jp/cyousenrekishi/diary/200902140000/
http://plaza.rakuten.co.jp/cyousenrekishi/diary/200903150000/

(ただ生還後は記憶をバックアップから脳に移してることになるけれど・・・)

   ×   ×   ×   ×   ×

じゃあなぜそんな必要がってことですが・・・思うに「あっち側」は、モノみたいに花が咲いてないのみならず、もうこちらの脳では把握できない領域なのではないか。「全知感」の内容がこちらには持ち帰れないのも、そうなのでは。
・・・じゃあ、なぜ「あちら」では「分る」のか。犬の脳は前頭前野がないから数学は分らない。概念そのものが持てないし。でももし犬の頭にジャックをつけて、外部のコンピュータの前頭前野機能とつなげたら、その間だけ犬は数学が分るかも。でもジャックを抜いたら、犬は「それまで何かすごいことを知ってた」とは思えるかもしれないけど、内容は思い出せないはず・・・(賢い懐疑主義の犬なら、「何もないのに、ただ『分った感』だけを錯覚したんだ」と考えるだろうけど)。

同様に「あっち側」が五感で説明不能だと、生還者は「様子はどうだった?」と聞かれても、答えられずに困る。だから代わりに、言葉で説明できて、我々の脳の理解の範囲内の、言わばダミー情報が、別に必要なのでは。つまり体験中感じた五感の要素は、「体が浮いた」「花が咲いてた」「音楽が流れてた」「神の姿は光だ」のどれも、もともとこちらの脳レベルに合わせた、バーチャル・リアリティ情報でしかないのではないか。生まれつき全盲の人の体験に視覚情報がないのも、視覚の領野がバックアップにもないからでは。
そのために、脳には「演出」に役立つツールの部分が、元からあるのでは。その働きはある程度機能任せだが、「あっち」の神か仏か天使かが介入したければ、体験者の脳内の使えるメニューから、選んで内容を決めるのかも・・・もちろん臨死体験だけでなく、本当に死ぬ時も、ストレスなく移行するために、「脳のバックアップ」はそこを機能させるかも知れない。

(前掲のカール・ベッカーさんの著書を見ると、仏教の阿弥陀浄土は、その環境は個人の意思や想念の通りになって、人それぞれ聞きたい、感じたいものを感じる、観念上の国土とされてる、とか)

(モース博士の考えは、情報があるのは脳でなく、あくまで「あっちに」ってことなのかな??その場合、脳の側頭葉にあるのは、あくまで「つながる」機能のみってことですが)

(「全知感」の機能は、脳の外にコンピュータを別に用意してあるのか。それとも脳の内部に既に高性能なそれがあって、単に目覚めるのか。これも二説ありそう)

・・・あと、霊能者に霊が「見える」ってのも(もし本当なら)、似たシステムでは、と思うわけです。霊感が強ければ可視光線みたいに目から情報が入る、なんてのも、ヘンな話ですし。

(分けます)
2009-06-18 Thu 03:13 | URL | 晃彩 晶 Kousai Akira #mQop/nM.[ 編集]
●神秘体験

最後にもう少し。「全知感」でのように、「あっち側」はこちらの脳を越えているのでは・・・ということは、生きた人間の神秘体験でも、何となくうかがえます。
例えば、立花隆さんの「宇宙からの帰還」は、アメリカの宇宙飛行士たちの、宇宙体験による内面の変化を、主にインタビューで追った本ですが、最後から二人目のエド・ミッチェルは、静かに地球を見ているときに、・・・有意味な世界、存在の役割と神的なプラン、目的ある進化、一体である全体の、完璧さと秩序と調和と満ちる愛・・・といったことが、歓喜とともに「一瞬で」分った、と言ってます。論理でも言葉のレベルでもなく、です。

http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/nobunrui/utyuhikosi.html

まあ彼にしても、普段からそういうことを考えていたようでもあるんだけれど(ハードカバー版、P-247、ジーン・サーナンの証言)。
あと、極限状態とかでなり易いらしい。下は「ホロン」概念で有名なアーサー・ケストラーの例です。

http://www.fuji.ne.jp/~kimura/holon/holon2_2.html

こういう体験て、普通の人でも結構あるらしく、以前読んだ「エイリアンの夜明け」(南山宏訳・角川春樹事務所)っていう有名なコリン・ウィルソンの本では(これまるまる信じるのはどうかと思うけど・・・)、最後の方に例として、二次大戦中の北アフリカの砂漠での、消耗し切ったある兵士の体験を挙げてます。自分の中に、存在の意味や永遠についての知識と言った超越的な内容が、歓喜とともに、ドッと流れ込んできて、「さしあたりはこれで間に合うだろう」なる声が聞こえたとかなんとか。

下のサイトには、「神秘体験」の事例がいろいろと。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/index-c.html

特に、有名なリチャード・M・バックと、
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/hutuh-1/bucke.htm
禅の今北洪川と、
ttp://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/syukyoka/imakitakousen.html
本が売れている科学者の柳澤桂子さん、かな。
ttp://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/yamai/yanagisawa.htm

・・・本来「言葉で言い得ない」はずなら、言葉で説明した臨死体験の描写も、少しその辺りを自覚して読むべきかなあ、と。

(ところで、神秘体験での側頭葉の役割は、プラグか?デバイス・ドライバか?「全知感」のような、普段概念把握できない概念の情報処理か?それともあくまで今の脳とあっちをつなぐツールで向こう行けば不要か?いろいろ可能性はありそう・・・)

   ×   ×   ×   ×   ×

────ようやく終わりました。
自説でここまで引っ張ってしまいました、よそさまのブログなのに。
ただ、どんな説でもいいんですが、叩く側に軍配が上がってるんじゃないってことを、例として示したかったんです。

前々から悪戦苦闘の末考えた説でも、人には言わなかったのに、川田亜子さんの事を検索したらこちらに出会い、書く気になり、そしたら止まらずここまでふくれてしまった、と。
もしこれが多少なりと誰かのお役に立てたなら、それこそ川田亜子さんのお引き合わせなんだ、とそう勝手に思うことにしています。もちろん、違うなら私めの責任ですが・・・。
いい方に転べば、少しは川田さんの死の埋め合わせになるんですけどね。
2009-06-18 Thu 03:30 | URL | 晃彩 晶 Kousai Akira #mQop/nM.[ 編集]
鬱による自殺は病死です。病死で裁かれることはありません。自殺がいけないというのは、そもそもキリスト教の倫理観によるものでしょう。シルバーパーチに関していえば、鬱病のことは知らなかったのでしょう。
2011-08-28 Sun 09:29 | URL | G五郎 #-[ 編集]

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